言語化できないと「ダメ」だと思っていた
「なんで言葉にできないんだろう…」
ブログを書いていると、そんな風にモヤモヤする瞬間があります。
実はわたし自身、もともと「言語化が苦手」だと思い込んでいたタイプです。
自分の心の声を書き出すことは好きで、ノートに気持ちをつづることはよくしていました。
でも、「人に話す」となると、うまく言えないことが多くて。
だからブログをはじめたとき、けっこう悩みました。
特に「価値観マップ」や「自分トリセツ」をテーマにするとなると、自分が感じてきたことを“体系的に”“わかりやすく”書く必要がある。
それがなかなか難しかったんです。
どれだけ考えても、最終的には「感じること」で決めてる。
だけど、その「感じる」をうまく言葉にできない…。
それがずっとモヤモヤの正体でした。

「言語化できない=わたしはまだ未完成なのかな?」
そんなふうに思っていた時期もありました。
言語化には力がある。けれど、それがすべてじゃない
言語化には、確かにたくさんのメリットがあります。
・思考が整理される
・人に伝えやすくなる
・共感や理解を得られやすい
だからこそ、「言語化はスキルなんだから、もっと磨けばもっときれいに届けられるはず」って、一生懸命学ぼうとしていました。
でもある時、ふと出会った言葉が心に残りました。
「感じること、直感は言葉にならないもの」
あぁ、そうか。
言語化に向いていないものもあるんだ――。
そう気づけたとき、ようやく肩の力が抜けたように思います。
言語化できないものを「途中」扱いしなくてもいい
以前のわたしは、「言葉にできたもの=完成されたもの」
「言語化できていないもの=途中で止まっているもの」
みたいに、知らず知らず優劣をつけていたところがありました。
でも今は、こう思うようになりました。
言葉になっていなくても、すでに“感じている”。
それってもう、十分にあるものなんだ。
「できる/できない」じゃなく「する/しない」を選んでいい
今も、言語化できないものに出会うことはあります。
そんなときはまず、「なるべく言語化してみたい」と思って、言葉を探してみる。
でも、ある程度までやってみて言葉が出てこなければ、そこであきらめる。
いい意味で、あきらめます。
🌱「たぶんそのうち、いい言葉が思いつくときがくるかも」
それくらいの気持ちで、いったん手放すようになりました。
この「こだわらなくなった感覚」は、とても楽です。
だけどついつい、「言語化しなきゃ」「できない=ダメ」って視点に戻ってしまいそうになるので、今は「言語化するかどうかは、自分で決めていい」という考えを、じわじわと自分にしみこませている最中です。
ブログでは…言語化できないとき、どうしてる?
ブログという形では、どうしても言語化が必要です。
読んでくれる人に届けるには、ある程度の言葉は必要だから。
だけど、言葉にしきれないこともたくさんある。
そんなとき、今のわたしはこう思っています。
「なるべく近くまで言葉で連れていって、あとは読んだ人に感じてもらうしかないかな」
正直、それが正解かはわかりません。
今も模索中です。
だけど、しょうがないよねって思えるようになった。
そのこと自体が、少しずつ自分を許せるようになった証なのかもしれません。
🕊「ことばにならない想いも、ちゃんとあなたの中にある。」
おわりに:言語化はツール。正義じゃなくて、選べるもの
言語化はとても役に立つし、大事な場面もたくさんある。
でもそれを「正義」だと思いすぎて、自分の“感じる力”を否定してしまったら、本末転倒かもしれない。
言語化する・しないを、自分で選べる感覚。
これがあると、自分自身に優しくなれます。
そしてきっと、読んでくれる人にも。
ことばにならない想いのぬくもりが、届くと信じて。
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