“綺麗事”って言われそうで怖い。でも、私が“やりがい”を選ぶ理由

ふわり日々のこと

はじめに:ある出来事をきっかけに

先日、あるオンラインの集まりに参加しました。
そこでは多くの人が、自分の成果やこれからの目標をシェアしていました。

その様子を見ながら、ふと思ったんです。
あぁ、やっぱり私は「収入より、やりがい」なんだろうなって。

もちろん、収入は大事。お金がなければ、安心して暮らすこともできません。
でもそれ以上に私は、「心が動くこと」「意味を感じること」「自分の感覚に合っていること」を大切にしたいと感じてしまう。

とはいえ――
こういう話をすると、
「綺麗事じゃん」「理想論でしょ」って思われるかもしれない。
そんな不安も、正直どこかにありました。

でも、そこでふと気づいたんです。


「綺麗事じゃん」と感じるのは、その人の“当たり前”

「やりがいなんて綺麗事でしょ」
「そんなことより、稼げるかどうかが大事じゃない?」

そういう声を聞くと、なんだか否定されたような気持ちになりますよね。

でも、その反応の背景には、その人なりの“当たり前”や“ルール”があるんだと思うんです。

たとえばその人にとっては、

  • 家族を守るには収入が最優先
  • 仕事はしんどいのが普通
  • 「楽しい」で選ぶなんて甘えだ

というような、人生を通して培ってきた価値観がある。
それがその人の「現実」であり、「正しさ」なんですよね。

だから逆に、「やりがいを優先する」私は、“非常識”に見えるのかもしれない。


自分の中にも、知らず知らずのルールがある

実は、「綺麗事って思われるかも」と不安になったのも、
どこかで自分自身が「やりがい重視は甘えかも…」って思っていたからかもしれません。

つまり、自分の中にも「やりがいより収入が大事」という“ルール”が根づいていた。

それってもしかしたら、

  • 親や先生、社会から刷り込まれた価値観
  • 昔の自分が生き抜くために必要だった考え方
    だったのかもしれません。

以前、本を読んで「それは違う」と反発を感じたときに、
自分が“逆の価値観”を持っていることに気づいたことがありました。

でもそれが、人との会話の中でも起きているとは…
意外と、気づいていなかったなと思います。


反発は、自分の“前提”を見直すチャンス

「それ、違うんじゃない?」
「そんなの理想論だよね」

そんなふうに思ったり、誰かに言われたりしたとき。
それは、自分の中の“当たり前”が揺らいでいるサインかもしれません。

そして、そこで問い直してみる。

「その“当たり前”、今の自分に本当に合ってる?」

昔は必要だったルールでも、
今の自分にはもう苦しくなっていることもあります。

反発やモヤモヤを感じたときこそ、
“誰かのルール”じゃなく、“自分の感覚”に立ち戻るチャンスなんですよね。


やりがいは、私の“エネルギー源”

私にとって、やりがいは「がんばれる理由」みたいなもの。
意味を感じられない仕事を、ただ報酬のためにこなすのは、すごく消耗してしまいます。

私はHSP気質もあって、感情や環境にとても影響されやすい。
だからこそ、「ここにいていい」と思える感覚や、「私がやりたい」と思える動機がないと、うまく力を出せないんです。

逆に言えば、心が動くことには自然と力が湧いてくる。
だから私は、「やりがい」を選びたい。

それがたとえ、誰かにとっては「綺麗事」に見えたとしても、
私にとっては“現実”で、“戦略”で、そして“幸せ”なんです。


正解は、ひとつじゃない。

もちろん、「収入を最優先にする」という選択も、素晴らしいと思います。

  • 守るべきものがある
  • 経済的な目標がある
  • 今はとにかく安定を求めている

そんな状況では、「やりがい」よりも「収入」の方が大切になるのは当然です。

だから、どっちが正しいかを比べる必要なんてない。

大切なのは、**「自分の感覚に合っているかどうか」**だけなんですよね。


まとめ:自分の“しっくり”を、大切にしよう

いくら世間的に「正解」とされている選択でも、
自分が「そうだ」と思えなければ、きっとどこかで苦しくなってしまう。

結局のところ、
「自分が心地いいと感じられること」こそが、自分にとっての幸せ。

誰かの価値観ではなく、
自分の感覚に耳をすませながら、選び直していきたいなと思います。


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