はじめに
※このカテゴリの記事は、HSP気質のわたしが日々の中で感じた小さなモヤモヤや気づきを、そっと言葉にしたものです。
「こう思わない人」や「別に気にならないよ」という方は、無理に読まずにそっとスルーしてくださいね。
誰かを否定したいわけではなく、自分の心の動きを丁寧に見つめるための記録です。
モヤっとしたきっかけ
ある日、
「仲間がいれば大丈夫だよね」
「みんなで乗り越えよう」
そんな言葉を目にしました。
うん、わかる。
仲間がいてくれるって、本当に心強い。
でもそのとき、どこかで「ん?」と引っかかる自分がいました。
まるで“仲間さえいれば全部うまくいく”という雰囲気に、ちょっとだけ違和感があったんです。
ひとりでは無理、誰かといなきゃつらい、そんな前提に聞こえてしまって。
「わたし、そうでもないかも…」って思ってしまった自分に、少し戸惑いました。
違和感の正体を深掘り
仲間って、たしかにありがたい存在です。
一緒に笑ったり、助け合ったり、気持ちを分かち合えた経験も、たくさんあります。
でも、そのありがたさも自分の**「用法・用量」**を守ってこそなんだと思ってて。
HSPではない人や、HSS型のHSPさんなら「仲間は多ければ多いほどいい」「誰かと一緒にいるほうが安心できる」という感覚があるのかもしれない。
でも、わたしのように非HSS型のHSPだと、「仲間の存在がありがたい」と思う一方で、関わりが多すぎると逆にしんどくなることもあるんです。
HSPとしての感覚とのつながり
わたしにとっての安心は、まずは自分で静かに整える時間の中にあります。
「仲間」は、その先にある **“補い合える存在”**というイメージ。
だから、「仲間がいて当たり前」「いつも誰かと一緒にいるのが自然」という前提には、どこか居心地の悪さを感じてしまったのかもしれません。
もしかすると、わたしがモヤッとしたのは、
「仲間がいないとつらいよね」が当たり前のような前提になっていたからかも。
もちろん仲間ってありがたい存在だけど、
一人でいられることも、ちゃんと力なんだよって忘れないでほしくて。
わたしにとっての“ちょうどいい関わり方”
わたしにとって心地いい関わり方は、
- 一人で整える時間をしっかり持てること
- 少人数で、気の合う人とだけ深く関われること
- 「困ったときに頼れる」「停滞したときに話せる」くらいの距離感
“仲間といることが前提”ではなくて、必要なときに自然と集まれる関係性がちょうどいいな。
読者への問いかけや共感
HSPと一言でいっても、感じ方や反応するポイントは本当に人それぞれ。
非HSPさんもいる日常でみたら、もっともっと人それぞれ、いろんなパターンがある。
だからこそ、「わたしにとってのちょうどいい距離感」は、自分で知っておく必要があると思います。
ここで質問です。
あなたにとって、「仲間との関係性」ってどんな距離感が心地いいですか?
- 深い関係?軽く集まれる関係?
- 人数はどのくらい?
- どのくらいの頻度で会いたい?
- リアルで会いたい?オンラインでもいい?
この中のひとつでも考えてみると、自分にとっての心地よい距離感のかけらが見つかるかもしれません。
わたしと同じ“仲間がいれば大丈夫”の言葉がしっくりこなかった人に、この考えが少しでも届けばうれしいです。
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