「何のためにやるの?」に疲れた私が、“非目標性の活動”に救われた理由

ふわり日々のこと

はじめに:「やりたい理由がないとダメ」だと思ってた

「何かのためにすることこそ意味がある」
「アウトプットしないインプットはムダ」
そんな言葉に心がザワザワすること、ありませんか?

やりたいことって、
ちゃんとした“目的”がないとダメなのかな…?

ストレングスファインダーで「達成欲」が最下位の私。
自分でも、目標に向かって一直線!みたいなスタイルはあまり向いてないなと感じていたし、
何かをするときは「ただ楽しいから」「興味があるから」なことが多かったんです。

でもそれって…逃げなのかな?
ちゃんと結果を出す人たちの中で、そんな自分を少し恥ずかしいと思う気持ちもありました。


非目標性の活動に出会って、ふっと力が抜けた

そんなときに出会ったのが、哲学者キーラン・セティアが提唱する
非目標性の活動(atelic activity)」という考え方。

それは、「ゴールを目指す活動(telic)」ではなく、
“やっているその時間”に価値がある活動のこと。

たとえば、誰かと会話する、散歩する、音楽を聴く、本を読む……。
それ自体が目的であり、それをしている今こそが満たされる瞬間

「そうか、私はこの考え方を大事にしている人間なんだ」と、
自分の考えを肯定されたようでほっとしました。


ゴール思考がしんどい私たちにこそ、必要な視点

HSPの私は、「ゴールを決めてそこに向かって進む」ことに、プレッシャーを感じやすいタイプ。
でも、不思議なことに「これ、普通の人には無理だよね〜」なんて言われると、
「やってやろうじゃん!」と火がつくこともあります(笑)

自分でもチグハグだなぁと思うけれど、
こうした自分の傾向を理解する手がかりになったのが、ストレングスファインダーでした。

達成欲が最下位なことに対して、「やっぱりね」って思えたこと。
そしてその上で、非目標性の活動の考え方が、自分の感覚とちゃんと一致したことがうれしかったんです。


「それをしてる今」がしあわせなら、それでいい

私のしあわせの定義は、「快適な状態でいること」。
達成して喜ぶよりも、「いま心地よいか?」を大事にしたい

“やってる今”が楽しいって、もうそれだけでしあわせだよ。

たとえば、勉強もそう。
目的があるからするんじゃなくて、新しいことを知るのが楽しいから勉強する。
それって、まさに非目標性の活動。

世の中では、「インプットだけじゃ意味ないよ」「行動しなきゃ」と言われることも多い。
確かにその視点も必要だけど、それがすべてじゃないと思うんです。


私にとっての「非目標性の活動」

  • ブログを書くこと(届けたい気持ちもあるけど、書いていること自体が楽しい
  • 自分の思考を掘り下げる時間(これはもう、やめられない!)
  • ぼーっとする
  • 音楽(ただ触れてるだけで、気持ちが落ち着く)

それが完成しなくても、評価されなくても、
「いまこの瞬間が好きだな」って思えることが、私にとっての豊かさ


「意味がないといけない」という縛りをゆるめてみる

社会では、「結果を出して初めて価値がある」「役に立たないなら意味がない」
そんな空気がありますよね。

もちろん仕事などでは、目的や成果が必要な場面もあります。
でも、すべての行動が「目的のため」じゃなくてもいい

迷ったときは、「その行動が今の自分にとって心地いいか?」
自分の“トリセツ”を手がかりに、バランスを取って選んでいけたらいいと思います。

まずは、「好きだからやる」「意味がなくても落ち着く」そんな時間を、
1日の中に少しだけ作ってみませんか?
本を読む、お茶を淹れる、ぼーっと空を眺める…
そんな小さなことでも、ちゃんと心は満たされていきます。


おわりに:HSPだからこそ、今を味わう感性がある

「目的がなきゃダメ」「結果がなきゃ意味がない」
そんな言葉に疲れてしまったあなたへ。

その“やってる時間そのもの”が楽しいなら、
それはもう十分、価値のある時間です

HSPの私たちは、
「今この瞬間のしあわせ」に気づける感性を、ちゃんと持ってるから。


🧡読んでくれたあなたへ。そっとよりそう一言

「ちゃんと理由がなきゃ」と思ってたけど、
好きってだけで、理由なんてもう、じゅうぶんなんだよ。


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