👼シリーズ#2-1|幸せの感じ方は人それぞれ|HSPの私が「穏やかさ=幸せ」だと気づくまで

ふわり日々のこと

HSPの私が「穏やかさ=幸せ」と気づくまで

「しあわせで“いる”ってどういうこと?」

実はこの問い、わたしの中で一周まわって、ようやく“じんわり落ち着いた感覚”として言葉にできた気がします。


条件付きの幸せを求めていた過去

もともとわたしは、「○○が叶ったらしあわせ」「もっとお金があれば」「仕事をしなくてもよければ」といった、条件付きのしあわせを明確に持っていたわけではありません。

だけどどこかで、「こうなればもっと楽になるはず」「これが叶えば不安が減る」といった、外的な変化にしあわせを求めていた気がします。


自分トリセツで気づいた「満たされた感覚」

価値観マップをつくり、自分トリセツで実験を重ねるなかで、ふと立ち止まったときに気づいたことがありました。

「あれ?この感情、この状態こそが、わたしがずっと求めていた“しあわせ”だったのかも」

たとえば、
朝起きて「今日はちょっと体調が微妙かも」と思ったときに、自分の判断で仕事の開始時間を遅らせられること。
作業の途中で「いったん休憩しよう」と自由にペースを変えられること。

誰に気を使うでもなく、自分のリズムを尊重していられる時間。
それがわたしにとって、なによりも満たされた「しあわせ」でした。


「自分のリズム」で生きられることの喜び

Rona
Rona

しあわせって、キラキラだけじゃないんだよね…って、最近やっと思えるようになったよ

以前は「しあわせ=楽しい!きらきら!ひゃっほー!」みたいな、陽気なテンションを思い描いていたけれど、
実際にわたしが求めていたのは、それとはちょっと違うものでした。

「嫌なことがない」
「自分のペースで動ける」
「心がざわざわしない」

そんな“波をおさえた”穏やかさに、深くしあわせを感じるタイプだったんです。


「やらなきゃ」に引っ張られない工夫と気づき

Rona
Rona

“やらなきゃ”が出てきたら、トリセツを開くのが合図!

自分トリセツがくれた“もうひとりの自分”

日常で少ししんどいことが起きたとき、心がざわついて「自分らしくない状態」に引っ張られることがあります。

そんなとき、自分トリセツの存在が大きな支えになりました。

たとえば、「やらなきゃ」と思い込んでいたときに、

「いま本当にやらなきゃいけない?最低限でいいならどうする?」
と問いかけてくれる“もうひとりの自分”みたいな感覚。

それによって、“やらなくてもいいよ”と思える思考の幅が生まれ、わたしは何度も穏やかさに戻ってこれました。


「しあわせでいる」は、“しっくり”を選び続けること

「今の自分に合う選択」を重ねる

最近気づいたことがあります。

「しあわせで“ある”って、固定されたゴールじゃなくて、“今の自分にしっくりくる選択”を繰り返していくことなんだな」

日々変わる“しあわせの感覚”に気づく

わたしにとってのしあわせは、他人のものさしじゃ測れないし、日々少しずつ変わることもある。

でも、自分の価値観や感覚を丁寧に見ていけば、「今のわたしにとっての心地よさ」に戻ってくることができる。

それを選び続けることこそが、“しあわせでいる”ということなんだと感じています。


あなたにとっての「幸せ」はどんな感覚?

最後に、あなたにも問いかけてみたいです。

「あなたにとって、“しあわせである”ってどんな感覚ですか?」

・どんな時に「ほっとする」と感じますか?
・どんな状況だと「心が軽い」でしょう?
・あなたの“しっくり”は、どんなときに訪れますか?

Rona
Rona

答えはゆっくり見つければいいんだよ。わたしもそうだったから…!

答えはすぐに見つからなくても大丈夫。
それを探す過程そのものが、もしかしたら“しあわせへの道”なのかもしれません🍀


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