HSPの私が「穏やかさ=幸せ」と気づくまで
「しあわせで“いる”ってどういうこと?」
実はこの問い、わたしの中で一周まわって、ようやく“じんわり落ち着いた感覚”として言葉にできた気がします。
条件付きの幸せを求めていた過去
もともとわたしは、「○○が叶ったらしあわせ」「もっとお金があれば」「仕事をしなくてもよければ」といった、条件付きのしあわせを明確に持っていたわけではありません。
だけどどこかで、「こうなればもっと楽になるはず」「これが叶えば不安が減る」といった、外的な変化にしあわせを求めていた気がします。
自分トリセツで気づいた「満たされた感覚」
価値観マップをつくり、自分トリセツで実験を重ねるなかで、ふと立ち止まったときに気づいたことがありました。
「あれ?この感情、この状態こそが、わたしがずっと求めていた“しあわせ”だったのかも」
たとえば、
朝起きて「今日はちょっと体調が微妙かも」と思ったときに、自分の判断で仕事の開始時間を遅らせられること。
作業の途中で「いったん休憩しよう」と自由にペースを変えられること。
誰に気を使うでもなく、自分のリズムを尊重していられる時間。
それがわたしにとって、なによりも満たされた「しあわせ」でした。
「自分のリズム」で生きられることの喜び

しあわせって、キラキラだけじゃないんだよね…って、最近やっと思えるようになったよ
以前は「しあわせ=楽しい!きらきら!ひゃっほー!」みたいな、陽気なテンションを思い描いていたけれど、
実際にわたしが求めていたのは、それとはちょっと違うものでした。
「嫌なことがない」
「自分のペースで動ける」
「心がざわざわしない」
そんな“波をおさえた”穏やかさに、深くしあわせを感じるタイプだったんです。
「やらなきゃ」に引っ張られない工夫と気づき

“やらなきゃ”が出てきたら、トリセツを開くのが合図!
自分トリセツがくれた“もうひとりの自分”
日常で少ししんどいことが起きたとき、心がざわついて「自分らしくない状態」に引っ張られることがあります。
そんなとき、自分トリセツの存在が大きな支えになりました。
たとえば、「やらなきゃ」と思い込んでいたときに、
「いま本当にやらなきゃいけない?最低限でいいならどうする?」
と問いかけてくれる“もうひとりの自分”みたいな感覚。
それによって、“やらなくてもいいよ”と思える思考の幅が生まれ、わたしは何度も穏やかさに戻ってこれました。
「しあわせでいる」は、“しっくり”を選び続けること
「今の自分に合う選択」を重ねる
最近気づいたことがあります。
「しあわせで“ある”って、固定されたゴールじゃなくて、“今の自分にしっくりくる選択”を繰り返していくことなんだな」
日々変わる“しあわせの感覚”に気づく
わたしにとってのしあわせは、他人のものさしじゃ測れないし、日々少しずつ変わることもある。
でも、自分の価値観や感覚を丁寧に見ていけば、「今のわたしにとっての心地よさ」に戻ってくることができる。
それを選び続けることこそが、“しあわせでいる”ということなんだと感じています。
あなたにとっての「幸せ」はどんな感覚?
最後に、あなたにも問いかけてみたいです。
「あなたにとって、“しあわせである”ってどんな感覚ですか?」
・どんな時に「ほっとする」と感じますか?
・どんな状況だと「心が軽い」でしょう?
・あなたの“しっくり”は、どんなときに訪れますか?

答えはゆっくり見つければいいんだよ。わたしもそうだったから…!
答えはすぐに見つからなくても大丈夫。
それを探す過程そのものが、もしかしたら“しあわせへの道”なのかもしれません🍀
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