はじめに:このシリーズで伝えたいこと
HSPという言葉を知ったとき、
「これ、まさにわたしのことかも」と驚いたのを、今でも覚えています。
この記事は、わたしが「HSP(繊細さん)」という気質に気づくまでの体験を、
少しずつ言葉にしていくシリーズの1話目です。
「わたしって変なのかな?」
「こんなことでしんどいって思うのって、おかしいのかな?」
そんなふうに、どこか“生きづらさ”を感じている方に、
少しでも「自分だけじゃないんだ」と思ってもらえたら嬉しいです。
「わたし、なんかズレてる?」と感じたあの頃
「自分、ちょっとズレてるかも?」
そんな感覚がわたしの中にじわりと広がっていたのは、いつからだったんだろう。
思い返すと、いちばん最初にそんな「ズレ」を感じたのは、まだ幼稚園の年中さんの頃。
先生に「年長になったらどっちのクラスがいい?」と聞かれ、好きなマークを選んで伝えた。
でもそのあとで気づいた。「あ、先生はもうひとつのクラスを担当するんだ…」
ただそれだけのことなのに、わたしはものすごく申し訳ない気持ちになった。

ちがう方のクラス、選んじゃった…
そんなふうに、相手のことを思って気をつかってしまう。
それはやさしさというより、なんというか、「そうせずにはいられない」感覚。
「ただの性格」では説明できない、反応の深さ
大人になってから気づいたのは、わたしはただ気をつかう性格なだけじゃなかったということ。
誰かの機嫌が悪そうだったり、ちょっと怖いと感じる人がその場にいると、
わたしは「ちょっとやりづらいなぁ」なんてレベルじゃなく、
パフォーマンスが一気に崩れる。
おびえたような状態になって、もう何もできなくなってしまう。
自分でも「こんなに反応するの、変だよね…」と疑問を抱きつつも、
その理由はわからないまま、「わたしってなんかおかしいのかな…」と心の奥で思っていた。
考えすぎ?気にしすぎ?でも、やめられない
小さいころから、わたしは「どうしてこう思ったのか」「この考えはどこから来たのか」
そんなふうに思考を深掘りするのが好きだった。
でも、小学生のときに気づいた「世の中に正解なんてない」という考えが、
「だからわたしの考えは正しくないのかも」と、逆にわたしを苦しめる方向にいってしまった。
人の顔色を自然に読んで、反応を先回りして想像して、
「困らせるかも」と思ったら、もう何も言えなくなる。
「気にしすぎ、考えすぎ」って思われるかもしれないから、本音は出さない。
そんなふうに、自分の気持ちさえ「無かったこと」にしてしまうクセがついていった。

波風たてないように…
わたしだけ?それとも、みんなそう?
そういうことがいくつも重なって、ふとしたときに思うようになった。
「もしかして、わたしって変なのかな?」
「ちょっとズレてる…?」
でも同時に、「いや、こう思うのってみんな同じでしょ?」
「誰でもちょっとはあるでしょ?」とも思っていた。
きっとわたしは、
「ズレてるかもしれない自分」と「特別でいたい気持ち」をごちゃまぜにしてたんだと思う。
「誰でも、自分をちょっと特別って思いたい時あるよね」
「だから“特別かも”って感じてるわたしも、きっと“普通”なんだ」
そんなふうに、自分の感覚をなかったことにしていた。
だから「わたし…もしかして宇宙人かも」と思いながらも、
どこかでそれを打ち消そうとしてた。
「どうせわたしも普通なんだよね」って。
本当の自分に気づいたのは、大人になってから
そんなふうにずっと生きてきて、
ようやく自分の「ズレ」が
「HSP(とても敏感な人)」という気質のひとつかもしれないと知ったのは、ほんの最近のこと。
「これはわたしの“おかしさ”じゃなかったんだ」
そう思ったとき、ようやく腑に落ちた気がした。
HSPを知るまでは、
このズレを“治さなきゃ”“隠さなきゃ”って、ずっと思っていた。
でも、これは性格じゃなくて「特性」なんだと気づいたとき、
どこかで「もう受け入れるしかないんだな」という、半分あきらめにも似た気持ちと、
「無理に変えなくてもいいんだ」という、ちょっと肩の力が抜けるような安心感が生まれた。
おわりに:わたしのように、どこかで「ズレ」に悩むあなたへ
もしもあなたが、「なんで自分はこんなふうに感じるんだろう」って思ったことがあるなら、
それは“ズレ”じゃなくて“特性”かもしれない。
わたしのように長いこと気づけなかった人が、
少しでも早く「そのままでも大丈夫なんだ」と思えるように。

どうか、じぶんを否定しないで
このシリーズでは、そんな気づきと、小さな変化の物語を少しずつ綴っていきます。
▶ 次はこちらの記事へ: 👉 シリーズ#1-2|HSPという言葉に出会って救われた話
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